2021年06月11日

本物の供養

「人が亡くなったら供養をしないといけない!」

多くの人はそう思っていますが、亡くなった人が皆、供養が必要かといえば実はそうでもありません。

そもそも供養とは、亡くなった人が死を自覚して行くべきところ(幽界)に行き、あの世(幽界)で浄化するように促すためにすることです。

だから、供養が必要なのは生前、執着が強かった人や「死後の世界は存在しない」と思っていた人であり、この世への執着が薄く、死後の世界の存在を理解していた人には(死んだら自分であの世に行くので)供養は必要ないわけです。


きっと皆さんはお経を上げたり、お墓参りをしたり、お供物をすることが供養と思っているはずです。

しかし、供養に決まった形はありません。

供養に必要なのは中身(気持ち)。

だから、形はどうであれ心の中で亡くなった人の浄化を祈り、亡くなった人に愛念を送ることが大事なのです。

これは逆をいえば、中身(気持ち)のない形ばかりの供養はどれだけやっても無意味ということでもあります。

だから、沖縄でありがちな「供養しないとバチが当たるから」と考えて、誰のためのなのよくかわからない供養をすることは供養にならないわけです。

あと、これは県内外でよく見られることですが、供養をユタや坊さん任せにするのも間違いです。

先ほども述べましたが、供養で大事なことは故人への浄化を促す気持ちと愛念です。

だから、どこぞのよくわからないユタや坊さんの念よりも、家族や生前関わりがあった人の念のほうが故人は嬉しいし、浄化に繋がるというのは容易に想像がつくと思います。


「あなたは、もう亡くなっていますよ!」

「この世のことは心配せず、あの世に行ってくださいね!」

「苦しかったよね?でも、もう肉体はないから楽になったんだよ!」

「光が見えるでしょ?そこに行ってね!」


そんな風に、故人に語りかけてください。

お盆の時期だけじゃなく、日常の中で故人を思い出して故人の浄化を祈り、そして、故人に心配をかけないような生き方をすること。

それが「本物の供養」になるのですから、供養を考えている人は是非実践されてみてくださいね。




P.S.(沖縄では「ウチカビ」といって亡くなった人があの世で使うお金という黄色い紙がありますが)ユタの中にはウチカビを燃やす量が足りないから「あの世でお金がなくて食べ物が買えなくて飢えている」「(故人が)着る服がなくて困っている」と言う輩がいるようですが、あの世は非物質界で、お金がなくても思っただけで何でも手に入る世界なので、ウチカビを燃やす量は気にしなくていいのです。

本物の供養


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Posted by スピリチュアリスト 直希 at 19:09│Comments(0)スピリチュアルな話
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