
2023年06月20日
今こそ謙虚に生きる!
今、皆が謙虚さを失っているように感じます。
(もちろん、僕もです。)
謙虚さを失っているとは、つまり、傲慢になっているということ。
だから、好き勝手に他人を評価したり、他人を批判したり、他人を裁く人たちがそこらじゅうにいるのだと思います。
(最近ではネットに「晒(さら)す」行為をよく見かけますが、これも晒している本人は正義のように思っていても、実際のところは他人を裁く傲慢な行為だと思います。)
どこもかしこも傲慢さが溢れ、傲慢の闇に呑まれてしまっている今。
きっと皆さんも日々の中(職場、家庭、友人、近所、ネットなど)で他人の傲慢さを目にする機会が多いと思います。
しかし、その時に相手をこらしめてやろうとしたり、思い知らせてやろうしてはいけません。
それも、また傲慢なのですから。
そもそも、人は他人の傲慢さにはすぐ気づきますが、自分の傲慢さにはなかなか気づきません。
自分は正しい。
自分は学んでいる。
自分は成長している。
自分は謙虚である。
自分は気づいている。
そんな驕りがあるから、自分の傲慢さに気づけなくなってしまうのです。
だから、他人の傲慢さを目にした時、他人の傲慢さに腹が立つ時、他人の傲慢さが鼻ににつく時こそ、しっかり自分と向き合い、自分自身の傲慢さを見つめましょう。
そして、自分も傲慢さに呑まれてしまわないように(傲慢さが大きくならないように)、常に自分を戒めましょう。
現世を生きる人間は皆、未熟。
未熟だからこそ現世に生まれ、そして、今もなお現世に生きている。
そう考えれば現世に完璧な人はおらず、誰もが傲慢さを秘めており、時に傲慢さが表に出て間違った言動をとってしまうということがわかります。
だからこそ、他人の傲慢さではなく常に自分自身の傲慢さに目を向け、謙虚に生きる。
それこそが今を幸せに、穏やかに、平和に生きるために必要なことなのだと僕は思います。
P.S.他人の傲慢な言動に腹が立ったり、傷ついたとしても、警察や弁護士に訴えたり、第三者に相談すること以外は基本的にしないほうがいいですし、全ては「カルマの法則」が働くのですから、放念するのが一番だといえますね。(放念が一番難しいですけども^^;)
(もちろん、僕もです。)
謙虚さを失っているとは、つまり、傲慢になっているということ。
だから、好き勝手に他人を評価したり、他人を批判したり、他人を裁く人たちがそこらじゅうにいるのだと思います。
(最近ではネットに「晒(さら)す」行為をよく見かけますが、これも晒している本人は正義のように思っていても、実際のところは他人を裁く傲慢な行為だと思います。)
どこもかしこも傲慢さが溢れ、傲慢の闇に呑まれてしまっている今。
きっと皆さんも日々の中(職場、家庭、友人、近所、ネットなど)で他人の傲慢さを目にする機会が多いと思います。
しかし、その時に相手をこらしめてやろうとしたり、思い知らせてやろうしてはいけません。
それも、また傲慢なのですから。
そもそも、人は他人の傲慢さにはすぐ気づきますが、自分の傲慢さにはなかなか気づきません。
自分は正しい。
自分は学んでいる。
自分は成長している。
自分は謙虚である。
自分は気づいている。
そんな驕りがあるから、自分の傲慢さに気づけなくなってしまうのです。
だから、他人の傲慢さを目にした時、他人の傲慢さに腹が立つ時、他人の傲慢さが鼻ににつく時こそ、しっかり自分と向き合い、自分自身の傲慢さを見つめましょう。
そして、自分も傲慢さに呑まれてしまわないように(傲慢さが大きくならないように)、常に自分を戒めましょう。
現世を生きる人間は皆、未熟。
未熟だからこそ現世に生まれ、そして、今もなお現世に生きている。
そう考えれば現世に完璧な人はおらず、誰もが傲慢さを秘めており、時に傲慢さが表に出て間違った言動をとってしまうということがわかります。
だからこそ、他人の傲慢さではなく常に自分自身の傲慢さに目を向け、謙虚に生きる。
それこそが今を幸せに、穏やかに、平和に生きるために必要なことなのだと僕は思います。
P.S.他人の傲慢な言動に腹が立ったり、傷ついたとしても、警察や弁護士に訴えたり、第三者に相談すること以外は基本的にしないほうがいいですし、全ては「カルマの法則」が働くのですから、放念するのが一番だといえますね。(放念が一番難しいですけども^^;)

Posted by スピリチュアリスト 直希 at 19:59│Comments(0)
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