てぃーだブログ › スピリチュアリスト直希の思うこと › 不幸は学びであり、宝である

2022年07月30日

不幸は学びであり、宝である

スピリチュアルに興味関心がある人の中には「当たる占い師や霊能者に視てもらえば不幸(災い)を避けられる」と思っている人がいます。

けれども、それは幻想に過ぎません。

起こることは起こります。

現世では必要以上にいいことも悪いことも起こりませんし、神頼みしたところで避けられないことは避けられないのです。

だから、当たる占い師、当たる霊能者、当たるスピリチュアリストを探して、何かある度に相談して不幸を遠ざけよう(災いから逃れよう)とは考えないでください。


あなたが不幸と思うことは、霊的に見れば「学び」です。

魂を磨くための「学び」。

傲慢さや怠惰、依存心をなくすための「学び」。

大我(利他愛)に目覚めるための「学び」。

現世の目線で見れば「学び」は不幸ですが、霊的な目線で見れば「宝」なのです。

人は皆、その「宝」を得るために現世に生まれてきたということを忘れないでください。




P.S.画数や方角、風水、運気(時期)を気にする人は多いですが、それらに縛られて生きることは不自由であり、気にしたところで(気をつけたところで)起こることは起こりますし、現世を生きる以上は必ず「学び」は避けられないので、僕は「占い」的なことは気にする必要はないと考えています。

不幸は学びであり、宝である


Posted by スピリチュアリスト 直希 at 20:24│Comments(0)
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