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2021年11月29日

「目醒める」「覚醒する」について

スピリチュアルな本やブログ、SNSでよく使われている「目醒める」「覚醒する」という言葉。

正直言って、僕は嫌いです。

「なんだよ、目醒めるって!」

「そんなアホみたいなことぬかしてないで、さっさと目を覚ませ!!( ゚д゚)」

…と思ってしまいますが、精神世界に偏る人は、この「目醒める」「覚醒する」が大好きなのです。

でも結局、それは「目醒める」や「覚醒する」の裏に「選民意識」や「優越感」という小我(自己愛)があるだけでしょう。

本当に目醒めた人や本当に覚醒した人は、そんな言葉遊びはしないと思います。

自分は目醒めた、自分は覚醒したと公言したり、悦に浸るのではなく、常に誰かのために、社会のために一生懸命になるはずです。

それをしていないのなら目醒めた「つもり」、覚醒した「つもり」に過ぎません。

自分好きの自己愛を満たす言葉遊び。

それが「目醒める」「覚醒する」という言葉を使っている人の真実なのだと僕は思います。




P.S.精神世界に偏る人は「スピリチュアルなことに目醒めた人は霊性が高い」と思い込んでいますが、実際はそんなことはありませんし、スピリチュアルを信じていようがいまいが霊性と関係ないし、そもそも人の霊性は五十歩百歩であって皆、未熟な魂であることを理解しなければいけません。

「目醒める」「覚醒する」について


Posted by スピリチュアリスト 直希 at 19:34│Comments(0)
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