後輩の一周忌に思ったこと

スピリチュアリスト 直希

2025年06月11日 19:36

先日(6月5日)、後輩が自死して一年がたちました。

後輩はもう浄化してるので一周忌に行くか少し迷いましたが、後輩のお母さんや家族には会ってみたかったので友人たちと行くことにしました。

正直、どんな風に後輩が出迎えてくれるのか、どんな風に視えてくるのか楽しみだったのですが、後輩の家に入った瞬間、その思いは消え去りました。

僕らが来たのはお坊さんが帰った直後で最初の訪問客だったらしいのですが、家の中は悲しみのエネルギーで満ちていたのです。

僕は頭が真っ白になり、とりあえず友人から順番に焼香をしたのですが、お母さんを見て更にショックを受けました。

これまで「お母さんは元気になってきている」という話を周りから聞いていたのですが、全くそんなことなかったのです。

とはいえ、お母さんは終始、笑顔。

でも、僕にはお母さんの心は全く癒えておらず一年前の今日からお母さんの時間は止まっているように感じました。

友人たちはお母さんや親族、後輩の甥っ子たちと談笑していましたが、僕は何か話そうものなら感情がこみ上げて泣いてしまいそうで出された料理を黙って食べるばかり。

僕の異変に友人たちはすぐに気づいたようで、あえてその場では何も振れずに気を利かしてくれました。
(帰りの道中で僕が感じたことを友人たちに話したのですが、同席していた霊感の強い友人も同じように感じたとのことでした。)



思えば後輩が亡くなってから、僕はミディアムのセッションを受けたり(後輩と霊界通信してもらったり)、後輩が僕を通して色々とメッセージを伝えてきたこともあったので、この一年、僕には後輩の自死は少しずつ「過去のこと」になっていました。

だから、一周忌の前に「もう一年がたつんだね!早いね!」と友人たちで話していたのです。

しかし、遺族にとっては、ずっと「今も続いていること」であり「その時から時が止まっている」わけです。

考えれば、「それが普通」なんですよね。

仮に霊的世界を信じていても皆が皆、視えたり、感じたりするわけではないですし、家族、ましてや最愛の息子が自死したら「なぜ?」「どうして?」という気持ちや、悩んでいることに気づいてやれなかったという自責の念も消えないはず。

そのことに気づかされたというか、僕自身の想像力のなさをとても反省しました。



心の傷は体の傷とは違って治る時間もかかるし、人によってはずっと癒えないことがあります。

傷をおった人に「前を向こうよ!」と言うのは簡単だけど、言われた人は「出来るなら、そうしてる」はずです。

それが「出来ない」から苦しいし、簡単に前を向けないほどの大きな傷を受けたのです。

そのことを理解した上で、そっと寄り添って生きたいですよね。

僕たちも、人からそうしてもらえて救われた経験があるのですから。

これから僕は後輩の家族、特にお母さんの心が癒えるように祈り続けます。