全ては学び

スピリチュアリスト 直希

2025年06月04日 20:01

スピリチュアルな視点で見れば「全ての出会い、全ての出来事は自分に必要な学び」といえます。

「全ては学び」

この言葉はスピリチュアル関連の話では耳にタコが出来るくらい聞くはずですから「もうわかったって!!」「もう学びは勘弁してくれ!泣」と思うこともあるはずです。(笑)

しかし、そう思ったところで学びはなくなりません。

というか、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、ショックなこと、腹が立つこと、嫌なこと、理不尽なことなど「自分に都合が悪いことだけが学び」ではないのです。

「自分に都合が良いことも学び」なので楽しいことも、喜ぶことも、嬉しいことも、待ち遠しく思うことも、安心することも、人の世話になることも、人の役に立つことも、人の優しさに触れることも、人から愛されることも全て学びといます。

人として(都合の)良いことの学びを多く欲しいと思うのは無理もないのですが、でも、そう上手くいかないのが人生です。

きっと「私は良いことの学びが少ない人生だな…」と思う人もいるはずですし、むしろ、皆さんは沢山の都合の悪い学びを経験したからこそ、スピリチュアルに目覚めたのではないでしょうか?



昨日のブログにも書きましたが、闇を知るから光がわかります。

この世は理不尽だらけ。

不公平で、無慈悲で、むごいことに溢れています。

もし、自分に都合の良いことばかり経験していれば、きっと闇に無関心で、自分の欲得ばかり考えて生きてしまうはずです。

そして人生にもがき、痛み、苦しみ、悲しみ、挫折、絶望の中に在る人に対して無関心だったり、冷たい言葉や態度をとってしまうはずです。

だから、スピリチュアルな視点で見れば都合の悪い学びこそ、自身の霊性を高め、自分の愛を大きくする大切な題材なわけです。



ちなみに僕もこれまで何度、霊界(守護霊)に対して「もう学びは勘弁してください!!泣」と懇願したかわかりません。(笑)

懇願したところで学びが免除されることもなく、ただただ霊界にお叱りを受けるばかりで反省させられました。(笑)

だから、今は思うのです。

「これまで沢山の学びを経験したのに、この程度の霊性(人格)なんだから、これまでの学びがなかったら自分って本当にろくでもない人間だっただろうな」と。

学びの必然性(意味)も時間がたってからわかりますし、過去を振り返ると、いかに自分が傲慢で未熟だったかを痛感させられますから、これでよかったし、これでいいのだと今は思うわけです。




人の数だけ学びはありますし、学びに優劣はありません。

どの学びも必然で、必要なのです。

時には、すぐに受け入れられない学びもあるはずですし、時間をかけて乗り越えなければならない学びもあります。

だから、受け入れられない時は無理して受け入れようとするのではなく、時間をかけてください。

「乗り越えられない壁はない」とよくいいますが「乗り越えられない学びは与えられない」のです。

だから、大丈夫。

あなたは乗り越えられます。

また笑える日がきます。

これでよかったと思える日がきます。

幸せだと心から思える日がきます。

生きててよかったと思える日も、生まれてきてよかったと思える日もきます。

だから、安心して、また一歩踏みだしましょう。


あなたが霊界の光に導かれ、光と共に歩めますように☆