似非スピリチュアルに惑わされない!
僕がブログで
「霊的視点に立って考えましょう!」と伝えていますが、きっと多くの人は下の2つの言葉を思い浮かべていると思います。
「全てに意味がある」
「全ては必然の学び」
確かにそうなのですが
「全てに意味がある」「全ては必然の学び」という言葉をただ丸暗記して連呼しても意味はありません。
霊的視点で見れば、現世は
「霊性(人格)向上」のための
「学び」の場だからこそ、起こることや出会う人にも
「意味」がある、ということ。
だから、何事も
「現世は魂を磨く学びの場」ということを前提に考えなければいけませんし、良いことも悪いことも自分に必要な
「学び」であるから
「必要以上には起こらない」ということを理解して生きなければいけないのです。
このことを理解していないから、多くの人は似非スピリチュアルに群がり、巷のユタや占い師、霊能者に惑わされてしまうのでしょう。
ハッキリお伝えしておきますが、スピリチュアルは自分を慰めたり、気持ちよくなるためのオモチャではありません。
スピリチュアルは、魂の成長(霊性向上)と自他の幸せのためにあります。
だから
「内観と反省」、
「利他愛の実践」を説いていないスピリチュアルは間違いであり、
「内観と反省」、
「利他愛の実践」がないスピリチュアルは全て偽物(似非スピリチュアル)といえるのです。
しかし、残念ながら世間の人は似非スピリチュアルを好み、
「ありのままの自分」でいようとします。
そして、物事には
「良いも悪いもない」し、皆
「ありのままで完璧」な存在だから
「あなたは、あなたのままでいい」と他人にも、自分自身にも言って傷口を舐め合うのです。
しかし、霊的視点に立って考えれば、そんなアホなこといいわけがないとわかるはずです。
きっと皆さんの中にも
「ありのままの自分」が大好きで、自己肯定感を高めるためにスピリチュアルを利用している人はいると思いますが、僕はいい加減、目を覚まして欲しいと思っています。
そういう人は、もっと現実を見るべきです。
自分に酔いしれたり、いい人間になった気になったり、自分を霊性(魂レベル)が高いと勘違いするのではなく、もっともっと現実の闇、社会の闇、人の闇(自分や他人の闇)に目を向けるべきです。
そして、声なき声に耳を傾け、人が抱えている痛み、苦しみ、悲しみ、寂しさ、葛藤、悩みに寄り添う努力をすべきだと思います。
あなたは自分が幸せなら、それで満足なのですか?
自分の家族や友達、自分に関わりがある人たちが幸せなら、それでいいんですか?
自分と関係のない人たちは、どうでもいいんですか?
胸は痛みませんか?
一体、何のためのスピリチュアルでしょうか?
あなたは何のためのにスピリチュアルを信じ、学ぶのですか?
どうか今一度、よく考えていただきたいと思います。
P.S.スピリチュアリズムは宗教ではありませんし、教典もなければ教祖もいないただの真理に過ぎませんが、それでもスピリチュアリズムを学ぶ人や実践する人が極端に少ないのは、スピリチュアリズムに現世利益の甘みや旨味が一切なく、地獄にいる人間(生き地獄のような人生を歩む人)には人生を照らす救いの光になっても、そうではない中途半端なところにいる人間(中途半端に幸せな人や中途半端に不幸な人)にとっては自身の闇(小我)を照らす「不都合なもの」だからだと僕は考えます。